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JIYU-KENKYU第7回が終了しました!そのレポートです。

10月4日(日)、福岡市美術館の2階、カフェなかむらにて、TUEさん、岩本さん、聡さん、みね、計4名の参加のもと、堤清二、三浦展『無印ニッポンー20世紀消費社会の終焉』をテキストにJIYU-KENKYUが行われました。この本が「20世紀型(大量生産、大量消費)の消費社会とは何だったのか?」「これからはどのような生活スタイル(消費スタイル)に変化するのか?」といったことを大きなテーマとしていたので、今回はそれを読んだ各自の実感などを話し合う内容となりました。
(この記事の編集文責は世界激場実行委員にあります)

みね:(作成したレジュメにもとづいて報告後)というわけで、ここで言っていたことは、まず堤が80年代に世に送り出した「無印良品」が、実は反体制商品だったという経緯ですよね。ひとつは、その当時の「アメリカ的豊かさ(企業主権、大量生産)」に対するアンチテーゼ。もうひとつは、「ファッション性の追求へのアンチテーゼ(消費者主権)」。とくに、従来の商品が買わされて使わされるのだとしたら、無印の商品とは、自分の創意工夫によって、自分の生活を作り出す感覚。

みね:それに対して、三浦氏がこう評価しています。「無印良品とは、これで十分、これでいい」という発想だったのでは?と。三浦はそんな無印の「たいしたものはないが十分これで暮らせる、『これでいい』」という価値観が、実は時代を先取りしていたものであり、現在の日本や世界の消費をめぐる時代転換期にとって、キー概念となるのでは?と述べていたと思います。つまりこれまでの大量生産、大量消費型の消費社会が、この100年自動車の製造業に象徴されるように....GMが破綻したわけだから、終わりを迎えていて。まあ、誰もがばくぜんと「時代の変わり目だな」と感じているとは思いますが。これからの消費活動や私たちの生活の態度は、「無印的」な感じ(ミニマムなもので足りる)に変化するのかどうか、そういったことを中心に今日は議論していきたいと思います。


(撮影:TUE)

「無印感」について

みね:まず、皆さんそれぞれに「無印感」というものがおありでしょうから、それについてコメントをいただけますか?

聡:じつは昔から文房具が好きなんですよ(三菱か?TOMBOのレトロな鉛筆にふれながら)。でも、最初見たときの印象は....無印の鉛筆には、ロゴが書いていないでしょ。それが、不安になるんですよ。正直に言って違和感はあった。だから、無印のターゲットはある程度、大人の人だったのでは?つまりですね、たくさんの中から商品を選べて、ブランド志向に疲れたり飽きた人がターゲットだったのでは?だから、価値観の違う人に(商品を選べない/ブランド志向に疲れているわけでもない人々)そのメッセージがストレートに届くのか?という点では、ちょっと疑問です。だから、僕としては、後天的に無印の思想は理解できるけども、共感4割。

みね:私にとって無印は、小学生の頃でしたが、ちょうどサンリオにはまっていて、生活のすべてをなるべくサンリオ商品で買いそろえていました。そこに、無印が現れたんです、とびつきました!珍しくてきれいで、欲しくなる商品だったから。つまり、無印良品は、この本に書かれてあるストイックな思想的な背景とはまったく逆で、小学生の私にとっては単なる新しい消費の対象でしかなかった。そして、サンリオ同様、相当にお小遣いをつぎこみました(笑)。でも、途中で挫折しました。あまりに商品の数が多くて、全部揃えることができないとわかったから。

TUE: つまり、(聡さんの好きな鉛筆は)工業デザインで、機能を重視した「工業デザイン」から、可愛い絵が書いてある「サンリオ」への流れは、ちょうど対立軸にあるんですよね。

みね:なるほど。そしてさらにごちゃごちゃしたキャラクター入りの「サンリオ」から、シンプルな「無印」への流れというのも、対抗軸。でも、消費という点では、結果的に、私にとって無印とサンリオは一緒でした。岩本さんは?

岩本:自転車はみな乗ってましたね。本の中で、ユニクロと無印が似ている、という話がでてきましたが、僕はユニクロと無印は、無印の方が好きです。ユニクロは、目がチカチカする、あの色が。ユニクロの場合、品揃えもいいし色もたくさんあるけど、でもユニクロってわかるんですよね。だから、ユニクロを買うと、人と同じものを着なければならないってことになる。安ければ安いほどいいけれど、ユニクロは実はユニクロだと主張としている。色揃えが良いようで、その色がユニクロと主張している....。

TUE: 私は、ユニクロというのは、地方都市、田舎の発想だと思います。商品のコンセプトが。「品揃えいっぱいあります、お安くしておきます。」スーパーに近いんですよね。無印は、都会の発想ではないかと。もしくは、都会に憧れている人の発想。ちょっと、カフェ人種に近いかな。オーガニック、ロハスにも通じるところがあります。

みね:なるほど。

岩本:そういえば、ほかに安いといえば、ダイソーで買ったTシャツなんですけど、ガーゼでできてまして(笑)。びりっと(スーパーマンの変身のようなしぐさをしながら)、自分で破けるんです(一同、爆笑)。ははは。


「無印は現代の免罪符?!」

聡:先ほど、無印とユニクロの比較が出ましたが、僕は服だけのユニクロ、生活全般の商品がある無印、つまり共通のくくりとして考えたことがなかったんですよね。あえて、比較すれば....事実として、僕はユニクロ、無印は、両方買わない。ユニクロは、長い目でみたら、自分の首を絞める。で、無印は、逆にその構造を見えなくする。

みね:「首を絞める」とか、「首を絞める構造を見えなくする」というのは、どういうことですか?

聡:たとえば、マクドナルドを食うときのオレ。そのとき、負い目を感じながら食うんです。自覚できるんです。僕の考え方でいえば、「未来のない考え方」に、今、自分が加担しているなーって。食べながら、それが感じられる。でも、無印は「免罪される」気がするんですよね。たとえば、無印は、それを買って消費することで、「自分はアメリカ的な消費とは違うよ」という無印の考え方に一票入れたと、無意識のところで思っているんじゃないか。僕は、むしろそこで完結していることに抵抗を覚える。結局、無印を買っただけじゃ変わんない。無印は、「現代の免罪符」。免罪符によって、逆に見えなくなるものがあるんじゃないの?って思う。

みね:その考え方は、面白いかも。

聡:消費者主権という明確さはわかるし、たしかに無印は、世の中をかえた。それは、賞賛に値します。


「21世紀、私たちの消費活動のゆくえ」

みね:ふたを開けてみると、この本とはまるで別の「無印感」が出て来ましたが、つぎに今、世紀転換期と言われていますが、みなさんの生活で、とくに消費活動になにか変化があったか、行為でも内面でもかまいません。コメントをいただけますか?たとえば、著者の三浦氏は、「共費」という概念を提案しています。一つの車、一つの部屋を複数の人間で使用する。これまでのように私有財産を増やす方向に人々が向かうのではない、共有財産という概念に着目しています。

TUE:趣味以外にはお金をつかわない。いや、私は食事を抜いても、趣味にお金使いますよ。豊かな生活はしたことがない。ずっと法定最低賃金以下、3年くらいしか法定最低賃金しかもらったことがないですね。人が言う「金がない」というのは、お前これまで何に金をつかってきたんだ?自分が好きなことに金つかえ。と言いたい。私は何があろうが、変わらない。洋服なんかも社会的につきあうための、道具なだけ。何着てもいいなら、自分はバンドTシャツを着ます。

岩本:自分は、金は貯めたりせずにどんどん遣うんですけど、前みたいに、アホみたいに飲みに行くことがなくなった。これをがまんしてというのは、飲食代くらい。それも、以前があまりに、(外食費や交際費の)比率が多すぎたというだけで。ただ、今でもレコードはよく買う。それくらいかなあ。

聡:まず、これまで物買う生活自体を、して来なかった......。

TUE:.......この3人に消費についてきいたのが、まずかったですね(一同、爆笑)。

聡:そもそも、物を買う生活ではなかったから、この不景気でどうかというのは、正直わからない。ただ、自分がシゴトがなかったときどうだったか、ということを思い出すと、生活が成り立たないところまでいくのは好きじゃないから、出費の中で減らすところは減らす。でも、子ども時代に「望遠鏡が欲しい、だから貯める」というような、そんな感覚は変わっていないな。

聡:個人的なところから離れて回りをみると、控えている感じと言うのがある。我慢している人の方が多いと見える。景気が上向きになると、買う衝動どっと出てくるんじゃないかと。物が売れなくなったというけど、逆に買う衝動が今までが多すぎたんじゃないかな、って思う。人間ってね、消費ってのが楽しいって側面があるのがあるから、無駄な消費もある。消費が楽しいから消費する。それはわかる。自分もある面、そうだから。でも、バブルのとき思ったのは、純粋に消費したいと思ってしてるのか?ってこと。こいつら、周りに煽られて消費してたんじゃないかって思った。だから、景気が上向きになったら、また同じことの繰り返しになるんじゃないかと。何も変わらないんじゃないかと。だから、僕はそこらへんの見極めをしておきたいと思っています。


(撮影:TUE)

「読後の感想 1. 聡さんが吠える?!」

聡:ちょっといいですか。実はこの本で、疑問に思うところもあって。三浦氏が、「これでいい」というのが「現状肯定」というのなら、問題ではないかと。強い言葉を使っていい? 棺桶に片足つこってんでいる人たちなら、これでいい。

みね:棺桶に片足をつっこんでいるのは、誰ですか?

聡:この本の著者の二人(一同、静まる)。三浦氏や堤氏、この二人は派遣で切られて、ホームレスになっている人に、「これでいい」と言えるのか?「これでいい」というのが、「物質的に豊かになった延長線上で」言われるのであれば、たしかにこれでいい。僕もそう思う。でも、これからもずっと同じことがつづくけど、それでいいというのであれば、それは僕はいやだ。この人たちは、今の最低ラインを、ぜったいにわからない。そして、僕も最低ラインはわからない。だけど、それをわかろうとする創造力はあった方がいい。

聡:たとえば、赤城さんの戦争論がこの本で出ていましたよね。たしかに、戦争論は、僕も嫌いです。そもそも「実は戦争があっても格差はあるんだっていうこと」を、赤城さんはわかっていない。そこがダメ。しかし、誰だって戦争なんか嫌いなわけです。でも、それでも赤城さんがそれをいわざるを得ない状況を、この二人こそ想像する創造力がないよね。と、思う。つまり、三浦氏による説得力のある、「これでいい」という考察はなかった。そこが、この本のちょっと杜撰(ずさん)なところではないかと。

みね:他にもあれば、どうぞ話してください。

聡:もうひとついいですか?三浦氏の郊外の議論に関して、断絶を感じるところがありました。本に出てくる、東さんたちの言説は...彼らは自分たちと同じ世代です。僕らの世代は、地方の状況を言えば、テレビで均質な情報が流れ込んで来て、レコードも大型店があって、がんばらなくても買える。地方固有の風景が失われて、というのを目に見えるかたちで体験してきました。日本中どこでも郊外は同じ風景をしていて、隣近所の関わりが壊されて。その代わりに僕らに与えられたのが、テレビだった。深夜放送、ラジオ放送とかね。「人生で大切なことはぜんぶガンダムで習った」っていう表現があって。

TUE:「人生で大切なことは幼稚園の砂場で習った」のもじりですよね。

聡:はい。すごく僕はその言葉が嫌なんだけど、でも自分の中で抜きがたくある。もちろん、彼ら(堤氏、三浦氏)は、本物ですよ。でも、僕らのように偽物しかみたことがない人は、ファイクが普通である、てこと。そっちから見たら、郊外の風景はフェイクだけど、こっちからみたらフェイクはリアリティなんだ。それは、言いたいな。

みね:そうは言っても、郊外のショッピングセンターというのは、本当に嫌な気分になります。実際に凶悪犯罪は、都市部ではなく郊外で多く起きてますよね。郊外にできる24時間の大型スーパーによって、お母さんがパートに深夜出るようになる。すると、徐々に家族が解体されていきますよね。風景だけではなく、そういう住民の家族生活を壊すという意味でも、嫌なのですが。

聡:僕だって、郊外のショッピングモールなんて嫌ですよ。嫌だから言うんです。フェイクが普通になってしまった僕らと、彼らの理論の間には、そんなに困難さがあるんだよ、と。それだけは言っておきたい。....とまあ、さんざんけなしたんで(笑)、この本の良かったところはですね。本の98頁にある、「今ある豊かさを疑ってしまう」というセゾンのメッセージ。これは「降りられるものは、降りていい」ってことですよね。消費が落ち込もうが、長い目でみれば、この発想はいいと思います。


「読後の感想 2. 堤清二は究極の合理主義者?」

みね:他に感想でもいいし、今の自分が気になっているテーマなどがあればお願いします。

TUE:最近の広告代理店が趣味がよくなってほしいな、と思います。

みね:夢や希望はありますか?

岩本:ありますねー。あります。自分の中で「何がしたい」というものは、ある。そして、世の中に対して被害的な気持ちはないし、自分の今の状態は、いままでやってきたことの延長だと言う自覚はある。だから、むしろ世の中がどうこう、というのはない。自分のなかにぜんぶ(夢や希望が)ある。

みね:私の感想は、この堤氏の思想のユニークさ。それが残りました。堤氏にとっての前近代/近代化とは?という問題がこの本にはひとつあると思います。彼にとっての前近代とは、差別、理由のない理不尽な習慣で、それらに対する深い憎しみがまず、根底にある。それに対抗し、近代的であろうとしていて、また実際にご自身の企業を通じて、「人権、平等などの近代の美徳」を実現しようとしてきたのではないかな、と思います。

みね:ただ、ここからが面白いところなのですが、堤氏は、この本の中だけでも、ケースによって新自由主義的だったり、修正資本主義っぽかったり。態度が矛盾するんです。そこからは「ケースによって一番最前の選択をする」という、究極の合理的な人物像が浮かび上がりました。アレクシス・ド・トクヴィルというフランス人がいますが、初期のアメリカの民主主義をレポートした人です。彼はフランス革命や、そのあとの恐怖政治を体験して、実際に身内も殺されたそうですが、なにかひとつの絶対的な信条や主義というものを信じていないんです。その人と、印象が似ているな、と。何かによっかかって主義に溺れるんじゃなくて、現実の中で考えて調整して、最終的には合理主義をつらぬく。そこが彼のオリジナリティだと、思いました。

聡:そして彼は合理的で、なおかつ「天然ボケ」のところがあるよね(笑)。今回の副読本に挙げられていた、『消費社会のゆくえ』も合わせて読むとわかるけど、これって「ボケとつっこみじゃん!」と。ボケの方が堤さんで、つっこみが上野さん。Amazonのコメントでもそういう感想がでていて、みんなもその印象は同じなんだなあ、と(笑)


次回は、「歴史」をテーマにした回にしたいと思います。お楽しみに!

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