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  • 2012.09.11 Tuesday
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JIYU-KENKYU第5回報告

 7/5(日)、12時より福岡市美術館2Fの「カフェテラスなかむら」にて、「JIYU-KENKYU」の第5回が開催されました。
 参加者は、TUEさん、吉田晴子さんみねまいこ聡文三の4名。テキストは、雑誌 「SIGHT」2009年夏号(ロッキングオン社)より、内田樹×高橋源一郎の対談「さよなら自民党。そして、こんにちは自民党!?」を取り上げました。
 短いテキストにも拘らず、相当の激論が繰り広げられました。その熱気がどれほど伝わるか分かりませんが、まずはご一読下さい(写真撮影;みねまいこ)。

○「自民党的なるもの」VS「世界激場的なるもの」
聡)今回は雑誌の対談というかなり掟破りな(笑)題材なんですがよろしくお願いします。
読んで頂ければ分かりますが、この対談いわゆる今の政局の話はしていない。僕なりに読み込んだ結論を先に述べますと、要するに日本人は自民党なんだと。それはロジックで政策を決定したり、どういう国にするかという明確な理念がなく、湧き上がってくる問題に対して「生体反応的に」その場その場を対処してきたけど、それに限界が生じてきたと。じゃ今後は理念をちゃんと打ち立てていくのか、これはこれでありだと肯定していくのか、という事だと思うんです。
個人的にはこれ読んで、薄々感じてた事が「やっぱりそうだったか」と腑に落ちた気がして。ロジックで政治を語れないというのは日本の近代化がまだ足りないからだという事なのかなと思っていたのが、実は日本語の成り立ちそのものからして無理なんだという事が言われてて、すげえなあと。
ただ、という事は我々は日本語そのものを変えない限り新しい理念を持った国作りはお手上げなのか、という気もしますが、この二人はそれが本当に悪い事なの?ということまで示唆していますね。世界激場的なるものとは真っ向から対立する考え方かもしれないないので、焦ってもいるんですが。

みね)どういう事?

聡)自民党的な、理念がなくて「実体」「空気」のみで物事が決まっていくような日本社会に対して居心地の悪さを感じている(笑)人達が始めたのが世界激場ともいえるけど、「体質的にそういうのはムリ」とか言われた日にゃあどうしようもないでしょう。

みね)私これ読んでこんだけの一流の大の男が3人並んでこの程度の事しか言えないわけ!?」と思った(笑)。当然の事しか言ってないし。百歩譲ってこの人達のことを良しとしても、私は彼らとは違うと思った。「日本語はカッコいいことが言えない」って言ってたけど、言えてた時代もあったと思うんですよね、夏目漱石とか。

TUE)でもそれは舞台のセリフのようなカッコよさでしかないと思いますけどね。

聡)日本語で言える言えないというよりは、ソウルに触れるのかどうか、という話だと思います。

みね)そのソウルに触れる言葉を作るのが私の仕事だと思っていうるから、日本語の話者として。例えばオバマの演説は確かにカッコいいし、おんなじことを日本の政治家がやっても「何言ってんのオッサン」で終わっちゃうとは思うけど、ソウルに触れる日本語を作ろうとして日々生きているところがある。高橋源一郎の言う事も分かるけど、努力を否定したくないというか…。

TUE)いや、努力を否定はしていないでしょう彼らは。現状はこうだという事は言ってるけど。

聡)だから、今のみねさんの話とこの2人が言ってる事って、基本的には同じ事だと思うんだよね。

○スティーヴィーワンダーが「HAPPY BIRTHDAY」を歌える国と忌野清志郎「パンク君が代」が受け入れられない国
聡)日常的な言葉で政治を語るというと、「今度の選挙行く〜?」とか見たいな話は有り得るけど(笑)、こういう国にしたい、とかいうのは語られないよね。我々が無関心だからというのもあるけど。

吉田)そうですね、例えばリンカーンの”GOVERNMENT FOR PEOPLE,〜”とかも、日本語に訳すと「人民」とかいう言葉になって、その時点で日常感覚から切り離されたものになっちゃう。それはこれ読んで初めて気付いた。
聡)GOVERNMENTもPEOPLEも日常で使う言葉だもんね。でもそれが組み合わされると、バシッと理想を語れてしまうという。

TUE)国の政策として、落語とか都都逸といった、この国独特の言葉の芸術を軽視してきたから、というのもあるんじゃないですか。

みね)話代わってもいい?私最近スティーヴィーワンダーを何故かずっと聴いているんだけど、「HAPPY BIRTHDAY」という曲があるでしょう(註;アルバム「HOTTER THAN JULY」収録、1980年)。あれがマーティンルーサーキングの誕生日の歌だっていうのを知って、すごく愕然としたの。普通のポップスが当時のもの凄い偉大な人について歌って、しかも曲として優れているっていうのは何だろうって。

聡)いや、そりゃ単にスティーヴィーワンダーの才能(笑)。

みね)でも例えば井上陽水がさ、首相に「誕生日おめでとう」って曲作って、それが大ヒットするようなもんでしょう。

TUE)日本の首相に歌にされるような立派な人がいないって事なんじゃ?

聡)アメリカにおけるキング牧師の位置づけが日本の政治家のそれとは全然違いますからね。

みね)というか、ポップスの領域の言葉と政治の言葉と生活の言葉が全部同じ所にあるっていうのに衝撃を受けたんだよね。スティーヴィーワンダーじゃなくても向こうの人は割と普通に政治の事とか歌えるけど、日本の歌手でそれが歌えるかというと…。

TUE)(忌野)清志郎は?

聡)今までの話聞いてても、みねさんがどこに衝撃を受けているのか我々には見えてこないんですよ。キング牧師の事を歌うからいいのか、特定の人に対してメッセージを送ってそれが共有されるのがいいのか。

みね)言葉の階層がないっていう事。日本は政治の言葉、法律の言葉、アカデミックな言葉、小説の中の書き言葉、そして日常の言葉という風に幾重にもミルフィーユみたいにになってて、それらを行ったり来たりして色んな顔を持ちながら生きているような気がするけど、(向こうは)スティーヴィーワンダーがいて、キングがいて、歌を聴いて感動する人がいて、その全てが同じ言葉で感動を共有しているように思えたから。

TUE)でも「あいつはカッコいい」「あいつはダメだ」レベルの言葉だと、一番身近な所で言えばトイレの落書きとかになると思う。あの曲が感動的なものになったのは、やっぱりスティーヴィーワンダーの才能が大きいからじゃないですか。あと日本には、残念ながら歌うべき人がいないというのもある。マーティンルーサーキングみたいな、「私たちを代表してるすごくカッコいい人」という感じのは。

聡)話者の問題でもあるけど、受け取る側の問題でもあると思います。昨日たまたま立ち読みした、清志郎さんの追悼特集の中に面白い記事があって。例の「パンク君が代」が出た頃、彼がイギリスの「GARDIAN」紙(註;イギリスの中道リベラル路線の権威的な新聞)の取材を受けたそうなんですが、「GARDIAN」の論調としては、イギリスで同じ事をやったら彼はとんでもないヒーロー扱いで、ヒットチャートの1位にはなるわ肯定派と否定派の大激論になるわで大変な騒ぎになるだろうけど何で日本はそうならないんだろう、という(笑)。日本ではまずそういう事を押さえつけちゃうし、押さえつける以前に何となく「違うよね」みたいな空気になるわけでしょう。「HAPPY BIRTHDAY」にしたって、出すだけなら別に(日本の人でも)出来ると思うけど、それに熱狂するかどうかというのは受け手の問題だから。

○マルチスタンダードの荒野を生きる
みね)日本人はみんなダブルスタンダードみたいな感じで生きてる気がするんですよね。ここで通用する言葉があって、でも別の場所では通用しないからそこでは変える、みたいに同じ日本語の中にいくつもいくつもスイッチがある。そこをもっとシンプルにやれないかなというのはあります。最初の話に戻るけど、結局日本人は理念以外で信じているものがあって―「空気」的な、なあなあのね―、政治家がいくら理念のレヴェルで話をしてもリアリティがない。向こうはそれがキングにしろ、スティーヴィーワンダーにしろスタンダードが一つしかないから。

聡)ただまあ考えたら、自民党という「理念なき、実体のみの政党」がなんだかんだ言って何十年も政権を取ってきているという事は、結果的に国民はそっちを選んでるという事だよね。

みね)でも自分の言葉に関する限りは、グニャグニャするのはイヤだと思ってる。結局自分がどう生きたいか、という事だと思うけど。

聡)まあ、居心地の悪さを感じながら生きるしかないのかな、と(笑)。世の中がこっちの側に変わることは絶対にないという。高橋さんとかも割と年取ってから政治的な発言をするようになったそうだけど、どっかのインタヴューではっきりと「これで変わるとは思っていない」みたいな事言ってた(笑)。ところで皆さんの中で「自民党観」ってありますか?

TUE)ない。

聡)ないよね(笑)。

吉田)多数派。(野球の)巨人みたいな。

聡)ははは、確かに!最近巨人もそうでもないけどさ。

吉田)政策とかってなると全然わかんないし。

聡)ひょっとしたら自民党員も分かってないかも(笑)。例えば日本共産党とかだと、綱領があるし、それ以前に好き好んで共産党に入るという時点で既にそういう傾向のある人だから(笑)、それなりに勉強はするでしょうけど。

TUE)自民党と民主党は本当にないでしょうね。民主党なんて、基本テーマがあっちにフラフラこっちにフラフラしてますもんね。

聡)その2つが二大政党といわれてる時点で、そりゃもう理念はないんですよこの国には(笑)。

○比較文化大国日本は「そこそこの国」を目指す!?
みね)でもこんな日本人論とか、比較社会論とか、熱心について研究してるのって日本だけらしいよ。

聡)まさに内田さんが言ってるように、「他者との参照の中でしか自分の立ち位置を決められない」わけだ(笑)。でもあの中で、若い人に憲法の前文を書かせてみたら「そこそこの国でいい」とか書いちゃうってあったけど、あれに心から共感する自分もいますからねえ。

みね)政治的に「明日隣の国に殺されるかもしれない」という緊迫感の中での他国を気にする事はあるかも知れないけれど、日本みたいに「社会論・文化論」みたいな命に別状のないレヴェルで(笑)長年盛んに行っているのってないよ。個人的な話で申し訳ないけど、最近それをやってる事に疲れちゃって(笑)。

TUE)「アジアの中での日本の特異性」みたいなことは考えますか?

みね)日本は特異だとは思わない、むしろ弱小だと思う。

TUE)いや、強弱の問題じゃなくて、違いの事。

みね)アジアの中で日本は存在感がものすごく少ないと思う。こっちが思っている程(アジア諸国は)誰も見ていない。経済的にはまだ注目されるのかもしれないけど。

TUE)日本ってアジアとの関わりとか言われないんですよね。日本とフィリッピンとの関係なんて誰も論じないけど、日本とドイツの関係性だと沢山論じられる。バナナのコンプレックス(註;外見は黄色人種だが内面・思考は白人という事へのコンプレックスの意)とすら思っていないんじゃないかな。

みね)水村美苗さん(『日本語が亡びるとき』で近年話題となった小説家・評論家)の『私小説』という本の中に、彼女がイエール大で議論をした際にも同じ事を言われたとありました。それである人は、「それは『選択的な無知』なんだ」と。自ら選び取って、アジア人としてのアイデンティティを見えないようにしているって事ね。だから少なくとも気付いてるのかもしれないけど、ずっと西洋的な教育を受けてきて、そういう(『選択的な無知』という)風に思わざるを得ないような方向に行ってるのかもしれない。

聡)ただ「他の国はどうあれ、自分はこういう国だ」という発想はともすればナルシシズムに繋がりかねないから、他者との参照の中で自分の立ち位置を決めるというのは一概に悪いとも言えないと思いますけどね。

TUE)でも「日本国はこういう国です」みたいな理念って必要ですかね?

吉田)無理に作ったところで理念の言葉、だと理解はされないからね。

聡)でも理念かどうかは別として、「そこそこの国」だったら大多数の人が同意してくれる気がしますけどね(笑)。

みね)その「そこそこの国」を理念化したらひょっとして面白いかもね。で、外国の人に「そこそこ」って何?って突っ込まれても答えられない、だって「そこそこ」なんだもん、って(笑)。

TUE)「そこそこ」で日本人は皆通じるから日本語勉強して下さい、って言うしかないね(笑)。


 いやあ、伝わりますかねこの対話のグルーヴ感?毎回JIYU-KENKYUの内容を掲載する際はかなりの部分をカットしているのですが、今回は全体の議論の半分くらいしか使ってないんじゃないでしょうか。それなのにこの有様ですよ(笑)。話はあっちこっちに飛ぶし、殆ど一人対全員みたいな感じで丁々発止のやり取りが繰り広げられる所もあるし、司会役としてはジェットコースターかビッグウェイヴに乗ってるみたいでした。

 次回JIYU-KENKYUは8/2()、昼12時から、福岡市美術館2階「カフェテラスなかむら」にて行われます。先日も予告したとおり、九州工業大学の佐藤直樹教授をお迎えして氏の最新刊について語って頂きます。
詳細はまた追ってお知らせします。いつもにも増して多数のご参加をお待ちしてます!


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  • 2012.09.11 Tuesday
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コメント
 こちらの記事について、mixiの聡さんのブログに書いた内容を、聡さんの許可を受けて転載させていただきます。

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 『SIGHT』の特集は自分もチラ見しましたが、それを冷静に議論する余裕はたぶん今の自分にはないので、参加を見合わせました。すいません。
 というわけで詳細は読んでおらず、本来ならコメントするのは筋違いですが、議事録を読んで思ったことなどを少々。

■ポップスと政治の言葉の問題〜英語構造について
 英語を勉強し始めてわかったことですが、英文の90%は基本単語3000語に収まるんですね。使われる日常語とそうでない単語の差が激しい。これは、多くの民族を巻き込んだ文化圏ならではの現象だと思います。電化製品なんかも、つくりはすごくシンプルだったりする。共通ルールは最小限にとどめる、その方が(民族と言語、知的レベルの壁を越え)修理しやすくて利便性がいい。日本の携帯や電化製品のように、副次的機能がいっぱいつく競い合いになるのは、それが空気を共有できる身内に向けての文化だからです。
 加えて、日常的に民族の利害関係や社会の軋轢があると、政治は「日常用語」に組み込まれます。対立軸がないと政治は語られませんよ。そもそもロジックで語る必要がうすい社会だったから日本はこうなったわけで、長所短所こそあれそれは立派な日本のアイデンティティだと思います。

■日本人論とか、比較社会論とか、熱心について研究してるのって日本だけ
 空気を共有する日本人が、他者の目を気にするのは自然ですが、外圧(海外による直接的な支配)を受けないまま二千年続き、非キリスト教国で自国のみで経済圏を持ち、しかも世界第二位なんて国は日本しかないわけで、他国との比較なしに自分の立ち位置を確保することは難しいと思いますよ。「日本は変わった国だ」と思っていない外国人はほとんどいない……とは言いすぎにしても、少数派であることは確かだと思います。

■アジアとの関わり
 あってもマスコミはほとんど報道しませんからね。親日国の礼賛の声なんてほとんど一般の人は知らないでしょう。
 マスコミは国を褒めることをしてこなかった。戦時の軍部暴走の反動から、GHQの指導によってそれを否定する方に国が舵を切った。そのまんまずっと来てしまったのは、長い流れの中で、日本と利害関係の対立する勢力がそっちと結び付いたからです。というと陰謀論めいてますし生臭い話ですが。
 情報を伝達するマスコミが、自国の政治家を正当に評価しないのだから始末に負えません。そこにヒーローが生まれなければ礼賛する言葉もないんですが、実は、インターネットの風潮がその状況に一石を投じつつあります。 (つづく)
  • 円盤人
  • 2009/07/13 6:40 PM
(つづき)
■「日本国はこういう国です」みたいな理念は必要か
 言葉にしたら嘘になるのなら、空気として感じるだけでいいかと。日本らしいやり方だと思うんですが。

■インターネットの登場と普及
 インターネットの強みは無謬性ではなく、あらゆる権威を相対的にしてしまうことです。だから2chねらーの集団に「知識人」があっさり論破されてしまうことが起きます。今変わってきているのはネット上の言語空間ですね。2chは匿名だから説得力が必要。mixiは日常生活の延長上ですから、まだまだですな。
 したがって日本人が政治のヒーローを讃えるとしたら、ニコニコ動画で初音ミクに組曲『麻生太郎』を歌わせる、というふうに発現するわけです。それが先鋭化であるかどうかはともかくとして、1000万の2chねらーにはそっちの方がリアルなんですよ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1571450

 全体的に見て、何だか日本に対してネガティブな感じなのが残念です。人は自分の畑にあるものしか実にすることはできません。日本人がブルースを鳴らそうとして、『女のブルース』みたいな鬼っ子が生まれてしまう。しかしそれは、逆手を取れば別の音楽であり、ひとつの武器ともいえるわけです。出来次第では、かえって一般性が獲得できるかもしれない。そういうふうに考えられるか。
 というか、従来の日本人論って悲観論なんですよね。「おれはどうして人に好かれないのか」とか真剣に考えてる奴ってのは、たいてい卑屈で間違った結論に辿り着くもんです。周囲にどう認識されてるか、というところから相対化していかないと。だから、うん、キーワードは相対化だと思います。とりとめのない内容でごめんなさい。
(了)
  • 円盤人
  • 2009/07/13 6:41 PM
 先日、今回のJIYU‐KENKYU参加者のTUEさんより私宛のメールでコメントを頂きました。
 以下、ご本人の許可を得て転載いたします。


自民党がフジテレビとグルだったとか、
産経新聞がとか、
日経新聞がとか、
マスコミが日本褒め讃えるのはよくありますよね。
フジ産経は極端ですが、
テレビにせよ新聞にせよ、
日本のいいとこ探しに必死に思えます。
むしろ冷静な批判が見当たらない。

好意的に言えば、褒める事で、
占いや、ビジネス書の如く、
日本を励ましているのですが。

アメリカは、
批判者も
愛国ととらえられますが、
日本は売国奴だの反日だの、
言われたり自称したり。

日本人にとって、
本当に多数派かはともかく、
多数派らしきものが、
世界の枠として、
正しいんでしょうね。

追記、
大手マスコミこそまさに日本の味方で、
日本を甘やかして来たのではないか、
国を思うのなら尚の事厳しくあたるのが、
あるべき行いで、何処そこが褒めてくれたは、
特に気にせんでもいいと思います。
自分褒められてるってアピールすんのもね。
聖教新聞の池田大作と有名人ツーショットグラビア、
みたいですし。

何処そこが褒めてくれましたって、
独裁国家とか、
変な発明商品もよく用いる手法で、
それ出て来たら、もう駄目だと思います。
誇りを保つって、そんなことじゃない。

日本の特異性はもちろんある。
北朝鮮も中國も、ヴェトナムもブータンも、
スリランカも特異で、
いったい何処の国が特異でないのか、
共通する部分が大きければいいのか、
国を知る事は、
自分の国を客観視出来る事が重要ではないか。

またそもそもどっから何処まで日本なのか、
ヤマト民族で、国籍をもち、
言語を習得したものが日本人なのか、
領土は何処から何処までなのか、
沖縄奄美、
蝦夷地はどうなのか。

などなど。
  • 聡文三
  • 2009/07/20 3:24 PM
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